神社境内

新田橋を渡ると見える洲﨑神社鳥居。

東西線木場駅を降り、大横川にかかる弁天橋または新田橋を渡り、少し歩くと見えてくる朱色の鳥居をくぐれば洲﨑神社に到着です。
神社の顔ともいえる鳥居ですが、神域と俗世を区切る象徴的な門であり、神社にお参りする際にくぐることで心を清める意味を持ちます。朱色は、邪気を払う力があるとされるため、多くの神社で見られます。当神社の鳥居は伝統的な「明神鳥居」型の構造で、柱が少し内側に傾いています。
軽く一礼をして鳥居をくぐり参道を歩きます。参道の中央は「神様の通り道」とされているため、なるべく端を歩くようにしましょう。
それでは江戸の昔より歴史の深い当神社の境内をご案内します。

洲﨑神社境内マップ
洲﨑神社境内をたまちゃんがご案内

波除碑と津波警告の碑

津波警告の碑・波除碑・名人竿忠の碑
鳥居をくぐってすぐ左手に名人竿忠の碑と並んでいます

寛政6年(1794)建立、昭和51年6月4日波除碑として東京都の有形文化財に指定(画像左)。
現在は戦災による破損が大きくほとんど読みとることが出来ませんが、文献によれば次の文が刻されていたと伝えられています。

『此處寛政三年波あれの時、家流れ、人死するもの少なからず、此後高なみの變はかりがたく、流死の難なしといふべからず、是によりて西は入船町(現在の木場1丁目)を限り、東は吉祥寺前(現在の木場6丁目)に至る迄、凡長さ貳百八拾五間餘の處、家居取拂ひあき地になしをかるるもの地』

1791年(寛政3年)9月4日にこの一帯を襲った津波の惨状から、江戸幕府によって洲崎弁天から西側一帯が津波に備えての冠水地帯とされ居住を禁止する旨が記されています。

名人竿忠の碑

名人竿忠の碑
昭和49年に再建された名人竿忠の碑

「名人竿忠の碑」は、江戸和竿の名工として知られる初代竿忠(中根忠吉、1864年 – 1930年)を記念して建立された碑です。
初代竿忠は、泰地屋東作のもとで修行し、江戸和竿の名門としてその名を広めました。この碑は、初代竿忠の没後の翌年(昭和6年9月13日)に建立されましたが、戦火により損傷を受け、昭和49年(1974年)に再建されました。再建時の碑文は、徳富蘇峰によって揮毫されています。

手水舎(てみずや)

手水舎と玉の輿たまちゃん
手水舎と玉の輿たまちゃん

鳥居をくぐったら手水舎へ。柄杓(ひしゃく)で水をすくって身と心を清める場所です。

手水舎の作法と順序

  1. 右手で 柄杓 を持ってたっぷりと水をくみ、左手を清めます。
  2. 柄杓を左手に持ち替えて、右手を清めます。
  3. 再び柄杓を右手で持ち、左手で水を受け、口をすすぎます。柄杓は直接口につけないでください。
  4. 改めて左手を清めます。 残った水で柄杓の柄を洗い清め、元に戻します。

玉の輿たまちゃん

玉の輿たまちゃん

玉の輿たまちゃんは当社の創建と深くつながりのある桂昌院の名前と出世した経緯から誕生した、当社のオリジナルキャラクターです。令和元年例大祭に併せて境内にマスコット像を設置しました。
徳川綱吉公の母、桂昌院が玉の輿といわれる所以とたまちゃんの秘密は下のリンクからどうぞ。

辨天/豊川稲荷/於六稲荷

左から辨天(べんてん)、豊川稲荷、於六稲荷
左から辨天(べんてん)、豊川稲荷、於六稲荷
かつて社殿裏にあった弁天池
かつて社殿裏にあった弁天池

辨天(べんてん)

以前は社殿の裏手に池があり、その池の中の小島に弁天社が祀られていました。池が埋め立てられた際に境内稲荷の隣に移設されました。

豊川稲荷

豊受姫命(とようけひめのみこと)を祀り商売繁昌、家内安全、殖産興業にご利益があります。

於六稲荷(おろくいなり)

於六という老姿が永代浦より洲崎町(現在の洲崎川緑道公園あたり)に通づる土手を通行する人の危難を救ったという説によりもと久右衛門町(木場6丁目より東陽1丁目付近)にあって久右衛門町稲荷と称しましたが寛政三年(1791)大津浪後洲﨑神社に移し於六を勧請し於六稲荷としたと伝えられています。ご利益は家内安全、危難除交通安全に特別にご利益があります。

三夕碑(芭蕉の弟子三俳人のタベの句碑)と力石

三夕碑芭蕉の弟子三俳人のタベの句碑と力石
社殿左にあります
三夕碑芭蕉の弟子三俳人のタベの句碑(三夕碑)

文化十年(1813)秋建立
三夕碑(芭蕉の弟子三俳人のタベの句碑)

碑の歌

  • 秋は比法師すがたの夕かな 梅花翁宗因
  • 丹あふる笘屋の秋の夕かな 雪中庵嵐雪
  • 和歌の骨槙たつ山のゆうべ哉 宝晋斉其角

残念ながら戦災等でダメージをおい、彫られている文字は部分的にしか確認できませんが上記の歌が記されているといわれています。

この三夕碑の周りに無造作に置かれているのが力石(ちからいし)です。主に江戸時代から明治時代にかけて日本各地で行われた力比べのための石です。力自慢の若者たちが、腕力や体力を競い合うために持ち上げたり、肩に担いだりしたものです。重量も様々で数十キロから数百キロに及ぶものまであるようです。
こちらも残念ながら彫られている文字は判別不能ですが、当時の力自慢たちに思いを馳せるのも一興です。

川連虎一郎の碑

川連虎一郎の碑
境内左、一番奥にひっそりと佇んでいる
川連虎一郎の碑は江東区の有形文化財指定されている

有形文化財指定(江東区)
川連虎一郎は天保13年(1842)に下野国都賀郡真弓村(栃木県大平町)の大庄屋の家に生まれ、江戸に出て水戸学を学び、また大橋訥毎の教えを受けた攘夷派の志士である、元治年(1864)3月水戸筑波勢が拳兵したとき、これに参加し軍資金の調達等に当たりました。同年8月3日に当、洲崎で関宿藩佐幕派の者によって斬殺されました。享年23才。
後に藩人が謀り、命を絶たれた川連の死を悼み、明治2年8月当社に建立されました。

狛犬

洲﨑神社狛犬(阿形)
第六区二番組(現在の深川消防)奉納

当社の狛犬は一般的なイメージの狛犬と比べ、好戦的なポージングと豊かな表情が珍しいタイプです。阿吽の呼吸で今日も神社を守っています。

阿吽の呼吸

  • 阿形:あぎょう:「ア」と呼ばれ、生命の始まりや呼吸、エネルギーの発生を象徴しています。
  • 吽形:うんぎょう:「ウン」と呼ばれ、生命の終わりや沈黙、すべてのものが収束することを象徴しています。この形は、仏教の「阿吽の呼吸」に由来しています。

本殿

洲﨑神社本殿

緑青の屋根と赤い柱が特徴的な伝統的な神社建築の本殿です。
現在の木場・東陽町エリアはかつて深川区洲崎弁天町と呼ばれ、明治・大正時代にかけて根津より移転してきた遊郭が発展した場所でもありました。また材木業も盛んな地域で、地域住民はもちろん、遊郭で働いていた女性たちや木材業者の信仰も集めていました。

洲﨑神社本殿の中
本殿の中

参拝の仕方

一般的な参拝の仕方としては、鈴がある場合は鈴を鳴らして神様に知らせます。賽銭の金額に決まりはありませんが、自分の気持ちに合わせて賽銭箱に入れましょう。

二礼二拍手一礼(にれい、にはくしゅ、いちれい)を行います。

  • 二礼:体を深く2回お辞儀します。
  • 二拍手:両手を合わせて2回拍手を打ちます。お願い事があれば唱えましょう。
  • 一礼:最後に再びお辞儀をします。
たまちゃんと二礼二拍手一礼で参拝しましょう


本殿前では木場ラジオ体操会によるラジオ体操が毎朝6時30分より開催されています。夏は地元の小学生達も参加し地域の集いの場所でもありますので是非お立ち寄り下さい。

社務所

洲﨑神社社務所と豊光殿
社務所(左窓)と豊光殿入り口

お参りが済んだら社務所にお立ち寄り下さい。
当社オリジナルのたまちゃんのお守りや絵馬、破魔矢もこちらにございます。御朱印授与もお声かけください。 

[ 社務所 ]
9:00〜17:00まで 不定休
ご祈祷ご祈願は03-3644-1092までお電話にてお申し込み下さい(9:00〜15:30までの受付とさせて頂きます)

社務所と繋がっている豊光殿は平成26年に改築しました。地域の集会や詩吟、囲碁などの教室が開かれています。

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